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ピアニスト渡邊拓也の、ふと思ったこと。

天気に左右されることから

ふと思ったこと

天気が良いと気分が晴れ、淀んでいると気分も淀む。日常でよくあることだが、これって凄くないか…?

 

 

都市化が進んだ現代においては、どうしても自然に触れることが少なくなったり、人工物に囲まれたまま一日を終えたり、そんな日々が続いてしまうが、冒頭で示した現象は、「自然としての人間」を日常で感じる現象の一つだと思う。

 

自然

いくら理性が育とうとも、大脳新皮質の役割や構造が進化とともに変わってきても、生き物である以上、人間は「自然」なのだ。よく、「人間と自然の共存」という表現を見かけるが、自然と生まれた表現なのが納得できる一方、「自然/人間」という線引きがはっきりしていることも同時に意味し、果たしてこの表現はいつ生まれたのだろうという疑問も抱いている。人間だって、本来は自然の体系のうちの一つではなかったのか。

 

人間

確かに、これだけの言語や概念を操り、創造力や表現力を駆使し、本能をベースにしながらも多様な文化活動ができる(と私たちが認識しているだけなのかもしれないが…)という意味では、他の種の生物とは一線を画しているのは肯ける。映画やドラマ、小説や舞台などで「自然対人間」の図式が登場し、それをきっかけに自然や環境問題について思いを馳せることができる、それは素晴らしいことだと思うし、これからもたくさん問題提起はしていくべきだと思う。

 

人間⊂自然 の感覚

今回気になったことは、「日常で、人間である自分たちが、自然の一部であるという感覚はどのくらい感じているのか」ということだ。あまり意識することは無いと思うのだが、そういえば、桜が綺麗だと思う心もきっと自然の一部だし、人と人とのやり取りで起こる複雑な情緒も自然の一部だし、お水が美味しい、そう思うことだってひろく見れば自然の一部だ。

 

小さい頃、炎天下の中草原に寝そべってくつろいでいた時、間違いなく自分は「自然の中にいる、溶け合っている」感覚だった。懐かしいなぁ。仕事に終始している日々はこういったことを感じる余裕も無くなっていたが、図らずも余裕が出てきた今、ふとそんなことに目が向いた。

 

自然と共存、というよりも、自分は自然の一部であるという、そんな感覚をずっと大事にしていきたいなぁと、そう思った昼下がりでした。